Literary Machine Nº9

文学と音楽、ロンドンの陸地で溺れる税理士

3 May 2023,

ここ数日のブームが幸徳秋水である。というと社会主義者にでもなったのかと思われるかもしれないが、それほど深い理由はない。たまたまこの4月に岩波文庫幸徳秋水の書いた中江兆民の評伝をreissueしていたから手にとったわけだ。それにしても最近は「読書ができている」。UKでくすぶっていた昨年もこのくらいの時期に読書熱が大いに湧いたのだが、安倍元首相の事件を機に、あの究極的な現実でありむしろ超現実のようにも思われる出来事に衝撃を受けたあまり、懐の本を落としてしまってその後沙汰がなかった。その点で、ようやく生き還った心地がする。

だが、今日記したいのは「兆民先生」ではなく、むしろ連鎖的に読んだ徳冨蘆花の「謀叛論」なのだ。

いわゆる大逆事件(幸徳事件)で幸徳秋水ら12名が処刑されたのは明治44年1月24日だった。この事件を受けて、蘆花はわずか8日後である2月1日に旧一高で公演を行ったが、「謀叛論」はその草稿である。現代におけるこの事件の評価は、幸徳らを処刑したかった官憲によるでっちあげらしいが、当時懐疑する者がいたとしても、事件や判決について何か言論することすら憚られるような恐ろしい空気が醸されていたらしい。

そんななか蘆花は彼らの助命を天皇に嘆願する上奏文(本書に併録されている)を書き、処刑後にはこの公演で処刑すべきでなかった由を滔々と語る。彼らは「ただの賊ではない、志士である」からその志を憐れんで死刑にすべきでなく、天皇の寛仁による恩赦によってせめて命は宥し給うべきところを殺してしまった、と。これでは無数の無政府主義者の種子が蒔かれてしまった。当局者は幸徳らの躰を滅することで「無政府主義者を殺し得たつもりでいる。」

しかし、「幸徳らは死ぬるどころか活潑潑地に生きている。現に武蔵野の片隅に寝ていたかくいう僕を曳きずって来て、ここに永生不滅の証拠を見せている。」

理路整然と処刑が悪手であると述べながらも、調子は漸々激越となって、情動が迸るようである。なんと血気盛んな。終いには聴衆に対して「自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。」とか、「我々は生きねばならぬ、生きるために常に謀叛しなければならぬ、自己に対して、また周囲に対して。」聴衆の一高生たちを大いに奮い立たせたであろう。

そうして結句は以下である。

要するに人格の問題である。諸君、我々は人格を研くことを怠ってはならぬ。

無論これらは修辞とか比喩を多く含んでいて、いわば反撥的に過激に鋭利な言葉を撃ち込んだに過ぎす、実際に国家を顚覆させたり国体を潰滅させるような行為を心から奨励しているのではないと思われる。いつの間にか「謀叛」は革新のような意味にすり替えられている。

最後の人格云々にしても、謀叛によって乱臣賊子と成り果てたとしても、人格さえ磨かれていれば世間輿論は志士として彼を愛惜するであろう、というようなことではないか。所詮は真正の愛国心あらばよし、とも受け取れるような論調だ。

当時の大逆罪が死刑のみとしていた以上は、本質的には裁判所の判断や刑事手続(という表現でよいかわからないが)を責めるべきところ、文士としては天皇の恩赦に全振りするしかなかったというのはかなり脆いが、周囲の援護射撃もないなかでその危うさをカバーするように感情を先鋭化させて突貫していく蘆花の姿には、我々の心に訴えかけてくるものがある。

安倍元首相の暗殺事件については、案外波風の立たぬうちに判決が受け容れられるのかもしれない。個人的怨恨によって事件を起こした容疑者を幸徳秋水に比するのはあまりにもちぐはぐだが、それでも彼の行為をあえて「謀叛」の文脈で補足するのは価値ある考察かもしれない。いずれにせよ裁判の行方は非常な関心事であるなと改めて思った次第。