Literary Machine Nº9

文学と音楽、ロンドンの陸地で溺れる税理士

Kindleを忘れかけたこと

先月、日本に一時帰国していた間にKindle Paperwhiteの第11世代を買った。英国でも買えるのにどうしてわざわざ日本で買ったのか。消費税を含む値段以外の理由はない。今回は奮発して公式のカバーと保護シールも購入した。

そんな買ったばかりのKindleだったが、ヒースロー空港に着陸した飛行機内に置き去りにしてしまった。座席は三列席で間の一列が空けられていた。窓際に坐っていた私は、もう旅客は多いだろうにコロナ対策のためだろうかと考えていたが、戦争のためにロシア領空を避けてアンカレッジを経由するルートでは三時間長い飛行時間となるから、燃料消費を抑える目的で客数を減らしていたのかもしれない。空席のおかげで長旅もそれほど窮屈ではなかったが、十五時間分散らかった荷物を片付けなくてはならない。それで手に持っていたKindleを隣の席に何気なく置いてしまった。

「そのまま忘れたなんて莫迦にも程があるだろう」

いや、これには言い訳があって、断然、通路側に坐っていた学生らしき女性のせいなのだ。コンクールでもあるのだろうか、楽譜を読んでいたその女性はベルトの着用サインが消えると立ち上がって荷棚から楽器のケースのようなものを下ろした。これは通常の光景だったが、彼女は自分の用事が済むや私に気を遣ってくれた。

「荷物お取りしますね」
「重いですよ」と発したときには少し大変そうに荷物を下ろしてくれていた。
「ありがとうございます」

二人の会話は単にこれだけだったが、荷物を下ろしてもらった嬉しさなどより、こういう若い女性が当然のように他人に気を遣っている当たり前の仕草を垣間見たというありがたみの方が大きかった。人間は、その行為を包み込む雰囲気だったり、言葉だったり、その人のもっている善性だったりを発揮することで、行為自体の美しさなど簡単に凌駕できるのだと、そんなことを考えた。

パスポートを読み込む機械がいつもまともに機能しないのはさておき、英国に無事に入国できて、Buggage Claimに行った。ちょうど自分のスーツケースが手前に流れてきたので、ベルトコンベアから下ろす。そのとき、流れている荷物のタグを一々確認していたJALのスタッフらしき男性が、スーツケースを引いて去ろうとする私に声をかけてきた。

「ろきんさんですね」
「はい」
「機内に忘れ物をされたでしょう」
「さあ……何でしょうか」

こういう会話の後、彼が無線機で確認をしてくれて、Kindleを機内に忘れたことにようやく気が付いたというわけだ。実はそれまでに電話が数度かかってきて、一度だけ折り返したが行き違いになっていた。Whocallsmeで発信元を調べたが記録がなくて警戒していたが、まさかJALだったとは。そのまま他のスタッフがこの忘れ物を届けに来てくれるのを待つことになった。

他の乗客たちが荷物を受け取って颯爽と去っていくのを見送って、ついに誰もいなくなると、下らない忘れ物をした自分が情けなくなってくる。そこにグレーの髪の日本人の男性が現れた。その人はもしかしたらパイロットかもしれない、と思う。残念ながらパイロットを見分ける能力がないのでその人が本当にパイロットだったかどうか自信はないが、日本人で、それなりの年齢で、落ち着いていていながらどこか品というか色気がある。つまりパイロットらしさがあった。

その人は間抜けにも忘れ物をして、電話を無視して突進していった同胞のところにわざわざやって来てくれただけではなく、愚痴をこぼすでもなく、むしろ誰もいなくなるまで私を待たせたことを謝った。日本で買ったばかりだったので本当に助かったと感謝したら、見つけられて好かったです、と笑って去っていった。

このように早速Kindleをなくす危機に陥ったわけだが、一つだけ確かなのは、あの女性が私に話しかけてこなければ、Kindleを忘れることはなかったということだ。だからあの女性のせいなのだ。